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釣りのエピソード01

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写真: 釣りのエピソード01

写真: お婆ちゃんの家

思い出しました。釣りのエピソードをひとつ。

あれは小学5年生のころ。父親から「一緒に行くか」と声を掛けられて、入間川のいつもの場所へ。家から川までは徒歩です。その頃はもう5本継ぎ(4.5m)の竹竿を振れるようになってました。5本継ぎといえば大人の振る竿ですからね。小学生としては上等な腕前です。川につくと、父親が聞きました
「最近はどこで釣ってるんだ?」
私は橋の下を見ました。そこはコンクリの橋脚の根本が深場になっており、良い釣り場になっていました。すると父親は
「橋の下か。あそこなら釣れるよなあ。お前、あの場所を先取りしてバンバン釣って見せて調子に乗ってんだろ」
その指摘は図星でした。
「いいか覚えておけ。ああいう場所はな、東京から電車に乗って釣りに来る親子のために残しておけ。地元の釣り師が一番良い場所を占領してどうすんだ。みっともねえことすんな。こっちへ来い」
そこは川幅が狭くなる激流部でした。仕掛けを振ろうにも、数秒でウキが下流に流されるので、誰も釣らない場所です。父親は仕掛けを点検しました。オモリを外し、タナは浅め。ウキは玉ウキのまま。エサはサシ。そして
「下がって見てろ」というと、シュっと竿を振って仕掛けを急流に振り込みました。4〜5秒で仕掛けを上げてまた同じ動作を繰り返します。木のように同じ姿勢のままで同じ動作の繰り返し。川面は急流なのでウキは暴れながら流されていきます。これではアタリが見えません。
 やがてスパっと合わせると、大きなオイカワが釣れました。そこからは次々と同じように魚が釣れます。どうやってアタリを取っているのか見ていると、なんとなく見えてきました。ウキは一定のリズムの「暴れ方」で流されていくのですが、その動きを覚えると、わずかに違うリズムが見えてきます。そこがアタリでした。仕掛けにオモリは無いので、エサは自然の流れのままに流されます。急流でそのエサを追う魚は大きくて力強く、橋の下では滅多に連れないサイズばかりでした。
「名前はないけど、流し釣りってところかな」
釣りにくい場所で釣るという珍しい釣り方でした。
 息子たちに釣りを教えていると、となりに父親がいるような気がします。かつて教わったことを同じように教えているんですよね。不思議なもんです。
釣りは狩猟の一種であり、普通の趣味とちょっと違う満足感のようなものがあります。そのせいでしょうか、自分が釣りに行かなかった日の息子の獲物を調理してもらって食べる味わいは、これは単なる食品と違う深い味わいがあることも知りました。息子が仕留めた獲物を食料にするってことは、伝えるべきことを伝えた達成感が味に含まれるようです。そういえば、明治生まれのじいさんが、私の父親が釣ってきた魚はとても旨そうに食べてました。なるほど。こういうわけだったか。

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