野川弁財天の木彫り狛犬-吽形
木彫りの狛犬は初めて見た。
なぜか阿形と吽形が左右逆に置かれている。
20131205 野迫川村
アルバム: 風景006
タグ: 奈良県
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コメント (5)
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のらさんの影響で以前より狛犬を注視するようになりましたが、
確かに木彫りのは見たことがありません。
色彩が少し残った風合いがいいですね。2013年12月26日 14:13 monroe (30)
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木彫りの狛犬は見た事がありません。
石よりほのぼのと温かみがりますね。
これは極彩色に染められていて、よく見ると鳥居と足の先が繋がってますね。
シーサーのように鳥居の飾り的なものように見えます。
左右逆と云うのも、人臭さを感じさせますね。
もしかして勘違いして付けてしまって、後から気付いたとか?
次の野川弁財天の伝説面白いですね。
始まりは、水珠盗人だったとか、それもかの弘法大師ですよ。
野迫川は昔話の宝庫ですね。2013年12月26日 15:14 宙そら (32)
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monroeさん
鼻先が尖っていない、人間に似た表情の狛犬でどことなく愛嬌を感じます。
空海の創建による社とされていますから1200年くらい前のことかと思われますが、彩色の変化からそれほど古いものとは思えず何度か建て替えられたものかと考えられます。
社は妙音院という真言宗の寺院に併設されていて、神仏習合の色合いが濃いものです。
祭神は市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)、これを祀る社が後に厳島神社と呼ばれるようになります。
しかし社殿の中に安置されているのは八臂弁財天(はっぴ〜)で、江ノ島の弁財天と同じ琵琶を持たず八本の手にそれぞれ武器(弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長杵、鉄輪、羂索(けんさく・投げ縄))を持った風変わりな弁天像です。
日本古来の神が仏教の伝来とともに弁財天に姿を変えたのでしょうか、なかなか興味深いです。2013年12月27日 04:52 norak のら (8)
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puさん
今までたくさん見てきましたが木彫りの狛犬はたぶんあまり目撃例がないような気がします。
もしかしたら、こういうものが日本の狛犬の元祖だったかも知れません。
狛犬の始まりは外国の空想上の動物がモデルだということですが、参考にできる図案や前例がなく作ることを命じられた彫刻師は自由にその発想を広げて、結果こういうものに行き着いたと考えてもおかしくありませんね。
当然のことながら、その当時であれば一対の左右がどちらにあっても不思議はありません。
この人臭い顔などを見ていると、そんな大昔の出来事に思いを馳せてしまいます。
弘法大師が水の盗人という展開が面白いですね。
素朴な村に伝わる数々の伝承はだれかが語り継がなければ消えてしまいそうです。
事の真偽はともかく、記録が残されるよう望みたいですね。
サラスヴァティー 水と豊穣の女神
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC2013年12月27日 04:53 norak のら (8)
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monroeさん
追記です。
ウィキペディアによりますと、市杵島比賣命の説明に以下のことが記載されていましたのでご報告いたします。。
「後に仏教の弁才天と習合し、本地垂迹において同神とされた。」
また弁財天の説明の項でも同様の事柄が書かれてありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A92013年12月27日 05:23 norak のら (8)
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